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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

戯曲 はちすの露 2

  破
                    閻魔堂
                   貞心尼が一人。
 貞心   冬芽が弾けて・・・ 雪解け水がせせらぎの音に変わります。その音はまるで良寛さまの心の音、いいえ、浮き立つ私のと きめきの鼓動・・・。春、はると何度、何十、何百、何千と書いたことでしょう。朝焼けをひとつ、ふたつ、みつつ、と数えながら迎えたでしょうか。そして、沈み行くお日様に幾度となく手を合わせたことでしょう 。あの塩入峠の雪が私と良寛さまの仲を裂きより遠くへと引き放す。もっともっと私の懐いを熱くして、 燃えなければ・・・そうすれば雪が溶けて・・・。一時でも早くと・・・。仏に仕えるものの懐いではございませんいません。
「女子の命の髪を切ることは、俗世の女子の色欲、好いた好かれたを断ち切ること。黒い法衣を着け るのは色に迷わぬ断りぞ」「自然で良いのじゃ、そのままで、そのままで、仏の慈悲は五欲、煩悩の苦しみまで充分知っておられるのじゃ。それ故の苦しみだけで仏はお許しくださろう。そのままで、なすがままで・・・」 その声についつい・・・。苦しみが多いいほど仏に縋り行くことでいいのだと良寛さまは申されおいでな のでしょうか。まっ白な雪、そこに私の懐いの色が落ちて・・・。 私が初めて良寛さまの下をお尋ねいたしたのは、良寛さまが六十九、私は二十九・・・男と女と言う垣根を越えた人と人との出合い・・・。 
 頭の中で・・・。 
 何度もお会いして語り合い、幾夜明けた事でしょう。囲炉裏に向かって閻魔様と地蔵菩薩が一緒、万葉集はどうの、森羅万象の一つ一つが仏の姿、紙に筆を撫で一気に走らせる踊り文字の歌、吐息と心の臓の響きが見える空間。私が前に静座をしてじっと見詰めると、はにかんだような幼子が見せる仕草。ほんにこころは色々な良寛さまを見せてくださいました故に。その思いは仏様の申された極楽なのでしょうか。 そのような年月を経て、つらい関長温との五年、剃髪をするまでの一年、閻王寺での修業の二年。それから閻魔堂での三年、常に良寛さまのことが私の生き方の道標として・・・。 
 春から夏にかけて懐いを重ねて・・・。 
 お会いするために、良寛さまに着けて頂こうと肌着を心をこめて縫い上げました。私が縫った物をせめて良寛さまのお側へ・・・。肌着は私・・・。私は、お会いしたいとの懐いに負けて・・・。柏崎の岩場から荒い波の砕ける日本海へ飛び降りる気持ちで・・・
「ように来なさったな」 良寛さまのお口からと・・・。そのお言葉が頂けると思い・・・そう言うて下さったのは、能登屋のお内儀。「良寛さまも、貞心さんのことを気にしておられましたよ」 歳のことはどこかえほおり投げてまるで子供のように無邪気に囃したてました。                           「良寛さまが手毬が好きじゃというので、薇の綿毛を芯にして絹の糸で綺麗なかがりをしていますのよ」  私の懐いを弄びまるで楽しんでいるように・・・。  そう言われると私が困るので余計にからかうように・・・。でも、決して悪い気がいたしませんでした。  良寛さまは寺泊へお出掛けになっておられ・・・。  お会い出来なくて・・・。  懐いに負けぬ綺麗な手毬を置いてその日は帰りました。それに、私の身代わりの肌着を添えました。   そして・・・
      これぞこの仏の道に遊びつつ
               つくやつきせぬみちのりなるらむ(貞心)

  良寛さまは、出雲崎の大庄屋橘屋の跡取り山本栄蔵として産まれ、平らに時が過ぎていれば・・・。山本栄蔵として終わっていたでしょうに・・・。 人の定めとは悪戯なもの、父親の左門泰雄は商いに向いてなく、五七五に魅せられ惹かれ以南と号を持つ程の歌うたい、だんだんとお日さまが当たらなくなり・・・。以南さまが家を出た後、十七で栄蔵さまが庄屋見習いになられ・・・。
 代官所のお役人と村人の仲を・・・。飢饉が続いて、百姓一揆が・・・。その斬首に立合、お優しい性分の栄蔵さまはいたたまれなくお腹の物を吐いてしまわれ・・・。その場でひっくり返ったそうで・・・。 栄蔵さまは・・・何もかも嫌になり、自棄を起こされて、放り出して・・・。光照寺へ・・・。この世をお捨てになって・・・。そこで四年間の寺男としての務め・・・。 大忍國仙和尚さまが越後へ・・・。栄蔵さまは導かれるように備中玉島は円通寺へと・・・。栄蔵さんのお顔をじっと見つめられて大愚良寛と國仙和尚様が名付けられたのでございます。 二十二から三十五まで、僧堂での御修業・・・。 良寛さまのお目に映ったのは仙桂和尚・・・。一日作さざれば一日喰わず、の教えを守られての姿、  道元禅師の百条の教え「只管打座(しかんたざ)」の行いのありさまを・・・。仙桂和尚様は真の導者じゃと・・・。曹洞宗の教えはと後に書いて御座います。十二年間の修養の後にどこのお寺の住職になってもいいとのお許しを受けられて・・・。國仙和尚さまが円寂なされるまで、円通寺にて・・・。その後は・・・。西行法師さまが辿られた平泉までの道程をとか・・・。五年の放浪の後に・・・。 故郷の國上山の五合庵にこもられて・・・。五合庵には四十から五十八迄の十八年間、そこを終のすみかになさるのかとみんな思われていたら  、國上の麓の乙子神社の草庵に移られそこで十二年間・・・。そして、突然に能登屋の木村さまの離れへ・・・。越後、良寛さまの故郷での三十年、寺の住職の口が掛かっても断り、自由気儘に和歌に、書 に、子供たちとの遊びに・・・。ほんにのんびりと・・・。 人がなんと言おうが自然と道連れ手毬歌・・・。 詩僧とも聖僧とも呼ばれるご身分になられ・・・。良寛さまは「僧にあらず、俗にあらず」大愚良寛と名乗られ、破れ法衣を気にするでなく・・・。悠悠自 適の一人道を・・・。
       生涯身を立つるに懶く(ものうく)
       騰騰天真に任す
       嚢中三升の米
       炉辺一束の薪(いっそくのたきぎ)
       誰か問はん迷語の跡
       何ぞ知らん名利の塵
       夜雨草庵の裡(うち)
       双脚等間に伸ばす (良寛)  良寛さまの歌でございます。なんと羨ましいことでしょうか。 何も望むものはない、総てを自然に任し、貯えとしては三升の米だけでいい、それに囲炉裏に焼べる 薪が一束あればいい、みんなが色々と私の事を問うが、名を成すとは塵のようなもので大したこと はない、夜の雨を遮ってくれる小さないほりがあればいい、そこで両足を伸ばす事が出来れば何もいらない。 この詩を何度いいえ数えきれない程読み書き記したことでしょうか。良寛さまとおなじ境涯になりたいと思ったことでしょうすか・・・。 能登屋の良寛さまをお訪ねして、肌着と手毬を置いて・・・。それに歌一首を。閻魔堂へ帰る途中から急に恥ずかしさに・・・。はしたない、女子の私がと言う後悔が・・・。早い秋の夕陽が私の姿を赤く染めていました。まるで懐う人への色のように。
    いついつと、まちにし人は、きたりけり             いまはあいみて、何か思わん(良寛)  春の気配に勇気を貰いたいと春を心に蘇らせて・・・。懐いました。風の色が本物の春に変わり、梅が桃が、花を付けて落ち、櫻が・・・。櫻、まるで私の生き方を・・・。お日様に顔を向けることなく咲き旬を過ぎて散る。この私とて、咲いて見詰められ惜しまれて散る、そんな生き方を・・・。男の荒々しい力で毟り取って貰いたい・・・・。櫻を見て決心がつきましたがそれを行いに移すには一 夏の時の流れが・・・。 良寛さまを訪ねる勇気も櫻が与えて下されたのかも、もっと華やかにと励まされたのかも。 閻魔堂から麓を見ていますと、山櫻が・・・。風の悪戯に弄ばれていて・・・。そんな日は、夜の褥は身体の火照りで眠りの中へ引き入れてくれなくて・・・。経文を読み続けるのですが、身体の芯が燃えて身を持て余します。 良寛さまを懐って、歌を書き、水ごりをして忘れようとしている間に朝が・・・なんど、そんな日が過ぎたことでしょう。それは、春の過ごした日々でしたが・・・。夏の残り陽に汗が肌を流れるのを濡れた手拭 で拭いていると、まるで・・・なんと言う妄想でしょうか。秋の夜長に春のことを思い起して・・・。夕陽の中に法衣を解き白い肌を赤く染めて、夜空に散る満天の星・・・、それ程の懐いを・・・。 秋が深くなっても、あの春の夜の夢が、その夢に縋ってもう一度と・・・。 まだまだ修業が足りません。 そんなある日、良寛さまの・・・。 手毬と肌着有り難く納受仕り候。折角御出之処、留守に致しお目もじ適わず残念にて候。
    つきて見よひふミよいむなやここのとを
            とをとをさめてまたはじまるを(良寛)
  私がお訪ねして一ヵ月後、良寛さまのお礼の文と、歌一首。 何回も何回も読んでいると・・・。つきてみよ・・・。「あそびにおいで」の声が・・・。 嬉しくて、手毬を取り出して、夢中で突き始めました。 ♪「ひつと一人じゃ生きられぬ、二つ二人じゃどうじゃろか・・・」
     またとこよ芝のいわりをいとわずば
             すすきおばなの露をわけわけ(良寛)                  はちすの露3へ続く


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